あいんの日記

映画や漫画の感想を書きます!宜しければ参考にしていただきたいです!

怪物がささやく

 

 

これはシヴォーン・ダウトが原作の本です。小中学生向けの本かな?私は小学生の時に読みました。当時は全く分からなかったです笑

でも今ある程度大人になると分かってきました。主人公のコナーは中学生ぐらいの思春期真っ只中。中学生になると白黒ハッキリつけたがる傾向にあります。だからコナーは自分の考えている奥底の思いがダメな事だと決めつけ、誰かに罰を与えてほしがっていました。その時出会ったのが怪物です。怪物は3個の物語をします。どの話も矛盾するものばかりで、昔は何が言いたかったんだろうって思っていました。でも今だったら矛盾することはいけないことではない、矛盾で人はできていると怪物は言ってて、その言葉の意味が分かります。その事をコナーは教えてもらい、コナーは最終的に救われます。ずっとお母さんのことで思い詰めていたんだなと考えると、本当に辛いですよね。この映画はぜひ学生に読んで欲しいなって思います。特に誰か家族を病気とかで亡くしていたらコナーに感情移入しやすいのかなって思います。そして大人になってからも読んで欲しいです。今考えると、こんなことで悩んでいたんだ、割り切ればいいじゃんって思うけど、昔は1つのことに沢山労力を使って悩んで悩んで成長していたことが分かります。オススメです!

スーサイド・ショップ

 

 

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絶望している人にありふれている世界で自殺用品専門店を営む家族のお話です。

 この家族は自殺用品専門店を営み、人生は絶望でしかない、早く死にたいと考えていました。この世界にはそんな人で溢れており、その人たちを救っていると家族は思っていました。しかし、末っ子の男の子が生まれたところからそれが変わり始めます。彼は生まれた時から笑顔で人生は素晴らしいものと唱えます。彼のことを家族は最初鬱陶しがっていました。しかしお姉ちゃんの誕生日に黒ばかりのものを他の家族はあげていたにも関わらず、末っ子はピンクの布と素敵なCDを渡します。それからお姉ちゃんは日々を楽しそうに過ごすようになります。長男は何も考えていないようでしたが、夫婦はどこかで死を売っていることに違和感がありました。だから余計末っ子を見ると不思議な気持ちになるのではと思います。そして、末っ子は自殺用品専門店を潰す計画を企て、店の商品を全て壊してしまいます。勿論母親に怒られますが、これを機にお姉ちゃんは彼氏ができ、クレープ屋をしようという話がでて和やかな雰囲気になります。しかしお父さんは許さないと刀を振り回して末っ子を追いかけます。末っ子はお父さんを笑わしたいと高いところから落ちてしまいますが、下でトランポリンがあって助かりました。この時家族が命の大切さを実感した瞬間でした。その後は家族でクレープ屋を営み幸せに暮らしました。

  アニメである上に少し誇張した表現があるため、そんなことないだろうという人もいるかもしれません。しかし、自殺者が増えていってる日本では決して無視できない作品ではないでしょうか。そこの暗い部分を絵の明るさで表現されているため段々見やすくなるのも面白かったです。わかりやすいコメディーなので誰でも面白いと思います!

望み

 

 

この映画の面白いポイントは

訴えかけられる親心 これだけ限ると思いました!

 

 この映画はお父さん、お母さん、兄、妹の四人家族で、兄が行方不明になり、ニュースの報道で彼が加害者なのか被害者なのかどちらかになる可能性があることを知った家族のお話です。母親は生きていて欲しい、つまり加害者であって欲しいと思い、父親はあいつはそんなことするようなやつじゃない、つまり被害者であって欲しいと願うこの矛盾がたんたんと描かれています。The日本映画というふうに母親と父親の子どもへの思いが重く、静かに、激しくえがかれているようにかんじました。母親は彼が加害者だったとしても生きていて欲しい、その後の事はその時考えると言います。最後に母親は同じ選択を選ばされても生きていて欲しいと思うと言っていて母の愛だなとかんじました。父親は兄はこんな人物だった、この時こんなことしてたよなと思い出しながら、やっぱり人を殺せるような人じゃないと信じます。勿論今度の生活が脅かされるという気持ちもありますが、最後まで父親として彼のことを信じ続けます。最後、兄は死んでいたことが発覚し、どうして死んでしまったのかが真相が分かりますが、家族が知っていた、信じていた彼の姿がそこにはありとても悲しくなりました。マスコミやSNSの怖さにも触れられるこの映画はとても現代的でありながら、もし自分の子どもが…ということを考えさせられるし、親がどれだけ子どもを思っているかわかる映画になります。一緒に見た人は母親に迷惑をかけた時のことを思い出したと言っていたので本当に家族のことを振り返り、会いたくなってしまう映画です。

ハッピーデスデイ

 

 

 ホラーとコメディーが混じったアメリカお約束満載映画です。

①主人公のキャラ

②マンネリのなさ

 

①主人公のキャラ

 主人公はツリーは傲慢で上から目線で股ガバガバな女の子です。最初は見ていてこの女やばいなーと思います。しかし、ツリーは何度も同じ日(誕生日)を過ごして殺され続ける中で気の強さをフル活用して懸命に犯人に立ち向かっていきます。さらに何度も同じ日を繰り返す中で自分のしてきたことや態度の悪さを振り返るようになります。そのおかげで改心していきます。ただ口の悪さや態度のデカさは直らないのでそこがまだ面白いです。段々とツリーが成長して、何が大切なのかが見えてくる映画でもあります。

 

②マンネリのなさ

 同じ日を何度も繰り返すタイムループ系の映画ってマンネリ化する傾向にあります。途中で前の記憶を残してる人が現れるなどそれは反則でしょというハンデもつきます。でもこの映画はツリーのハチャメチャさ、コメディ的要素だけで話が進んでいきます。それがまたすごいなと感じました。

 

感想

 ホラー要素は特になく、リズミカルな音楽、ちょっとバグった貞操観念、ラブロマンス、コメディ要素を忘れない死に方などアメリカのお約束が満載の映画で最後までスピード感を感じながら見ることが出来ました。ホラー大好きな人よりアクション大好きな人に見てもらいたい映画です。

ファーストラヴ

 

 

 「トラウマ」を客観的に論理的に視覚化された作品でした。

 「トラウマ」って非体験者が考えるものだと、レイプされた、暴行されたとか実際に手を下されたものだと思います。しかし、本当は触られた、性の対象で見られた、口説かれたなど男性からしたら当たり前、悪意のない行動が女性を苦しめているのだと切実に訴えかけていました。主人公由紀も実の父親を殺した環菜も男性にレイプされるなどの外道な暴力を受けたことはありません。しかし、確実に傷ついている心を懸命に守るために嘘をつき続け、逃げ続けます。 環菜はその傾向がよく見られ、好きでもないのに体を触られても嫌だと言えず、笑ったり、好きだと思い込んでしまったり、経験豊富だというように嘘をついてしまいます。その嘘はより男性の気持ちを持ち上げてしまい、環菜だけが辛い気持ちを抱いてしまいます。そのためずっと彼女の行動と気持ちにギャップができ続けますが、そのギャップを由紀が明らかにします。由紀が環菜の気持ちを明らかにする過程がとてもわかりやすいので、誰でも分かるような形で「私は傷ついている」というメッセージが訴えられます。この「私は傷ついている」というメッセージは私が考えたのですが、この映画1番のテーマではないでしょうか。思春期という多感な時期に負った傷は永遠に心の奥底に残るものです。それが性的なものであればあるほど特に残ります。しかし、大人になるにつれ、性に、自分の中の「女」、周囲からの「女」に慣れるにつれて段々麻痺してくるのです。しかし、確実に「私は傷ついている」ということを明らかにすることで自分を大切にすることの重要性を静かだけど確かに燃え続ける怒りと共に訴えかけてくれています。女性は勿論、男性に見てもらいたい映画です。これぐらいなら許してもらえる、大丈夫という思いがどれだけ女性を傷つけるのか、また、自分の妹、母親、奥さん、母親などの大切な女性が同じことをされたらと考え欲しいです。保健体育の教材にするべき映画だと思います。

哀愁しんでれら

 

 

 裏おとぎ話大好きなので早速見に行ってしまった…!

 この映画のポイントは3つ

①子育ての大変さ

②理想と現実

③「常識」とは

 

①子育ての大変さ

 この映画は主人公小春が最悪なことが立て続けに起こった後に泉澤大悟が王子様のように助け出してくれる話です。しかしそれは表向きには、です。シンデレラでも上述したような綺麗な所しか書かれていません。「靴のサイズしか知らないのに結婚しても大丈夫?」現実的考えた時に出てきてしまうこの言葉を示唆するような映画でした。小春はこの王子様、大悟と結婚しますが、彼には子ども、ヒカリが居ます。子育ては楽しいことだけではないし、なんなら報われないことの方が多いと思います。ましてやヒカリは自身の子どもではありません。ヒカリが今までどのように育ってきたのか、どんな物が好きなのか、どのような性格なのかなど知らないことばかりからの子育てスタートになります。最初はヒカリと小春は上手くいっていました。それは「他人」だったからだと思います。まだ楽しいことしか経験していなくて、ヒカリのいい所しか見ていなくて、上手くいっていたのだと思います。しかしヒカリのダメなところ、絶対に直さなくてはならないところが山ほど急に出てきてしまった時に言い聞かせることは大変なことです。まだ1,2歳ぐらいの幼少期ならまだしもヒカリは小学生です。なかなか言うことを聞きません。お母さんなら経験したことがあるような苦悩に悩まされる小春の姿に似たような経験が思い出される人もいるかも知れませんね。

 

②理想と現実

 ①で子育ての大変さを挙げたのは、この②に繋がってくるからです。小春は10歳の頃(ヒカリと同じ年齢の頃)に、お母さんに捨てられた経験があります。その時に小春は「あんな母親にはならない」と固く誓いを立てます。この経験から養護センターで子どもを助けるために仕事にもつきます。日々、「ダメな」(小春にとって理想的ではない)母親を目の当たりにするにつれ、より「あんな母親にはならない」という思いは強くなります。そんな中結婚して、さらに小学生の子どもができます。小春はその「理想のお母さん」になろうに頑張ります。小春の「理想」とは何か分かりませんが、段々それと離れていく自分に我慢ならなくなっていきます。子どもをちゃんとしつけることやダメなことにはダメと言わないといけないのに、ヒカリや大悟にはそれが全く通用しません。ヒカリは好きな男の子に構ってもらうために人に害を与えたり、小春から貰ったプレゼントを捨てたりするような子どもでした。最初のヒカリの印象が段々変化していき、恐怖を感じるようになった小春は「理想のお母さん」を捨てるように心がけ、最後には自分にとっての「理想のお母さん」ではなく、ヒカリや大悟にとっての「理想のお母さん」になります。この理想と現実との間で悩む姿はとても苦しくなります。人は同じ環境にいると感覚が麻痺してくるという小春のお父さんからの言葉がありますが、本当にその通りたまと思います。小春は今置かれている状況にしがみつくために理想から「理想」に変化していき恐ろしい事件を起こしてしまったのだと思います。

 

③「常識」とは

 映画内で左耳を押さえるシーンが何度か見受けられます。何か「理想」から大きく離れている、または「常識」から大きく離れていると自分が感じた時に大悟の時は感じました。しかし、ヒカリと小春が押さえる時は一般的な常識を跳ね除けて、自分の「常識」を通そうとする時にこの動作を行っているように感じました。ヒカリは好きな男の子と話している女の子のことを邪魔だと思い、窓から落とそうと考えている時にしていました。これは本当にヒカリが実行したのかは分かりませんが、これが最終的に事件へと繋がります。小春は左耳を押さえるのではなく、髪を抜きます。最初は周りの声に耳を貸すことをやめ、大悟とヒカリの「常識」を受け入れるために行っていた動作でした。そして最後にはヒカリと同じような状況に対して行っています。そのためもしかしたら小春は最後にはとてつもなく迷惑なモンスターペアレントになりますが、ずっと違和感は確実に心の中に持っていたのではないでしょうか。しかし離婚が自分にとってトラウマだったことから絶対に離婚はダメだと思っていて一生懸命すがりついていたのだと思います。だから間違っていることをヒカリが言っていたとしても合っている、合っている、と言い聞かせていたのではないでしょうか。小春と大悟は女の子をヒカリが落としていないと信じながらも疑う気持ちもありました。ヒカリに確認すると、2人は自分のために何もしてくれないと泣きながら訴えられます。その姿に2人は親へ訴えた気持ちを思い出してしまい、こんな気持ちにはさせないようにしようと思っていたのにと酷く反省してしまいます。ヒカリのために何ができるだろうと考えた結果、みんなを殺すことでした。小春はヒカリの友達からヒカリちゃんはやっていないよ!という励ましの手紙を貰った時にはもう手遅れでした。小春はやってしまったという思いを表すかのように手紙を落とし、張り付いたような笑顔をしていますが、大悟を見ると「常識」にとらわれた小春に戻ってしまいます。このシーンはとても印象的でした。手紙を落とした時に表情が本当になんともいえないのです。この映画はサスペンスでありながら実際の家庭や子育てを思い出されるようなシーンがあるように思います。子どものことは信じたいけど…でも…ということって本当にたくさんあると思います。その真偽が致命的な結果を招く可能性があるから信じたいのに信じきれない思いがあります。過度に信じた結果、このような最悪な結果になることもあることを揶揄するように描かれた映画でした。

 

感想

 めちゃくちゃ本当に面白かったし、子育てって大変だなとぼんやり思いました。ただ理想と現実の折り合いを一生懸命つけようとしている小春の姿は可哀想と思ってしまいました。その葛藤を演じることができた土屋太鳳ちゃんは凄い思いましたし、断られても3度もお願いした監督もすごいと思いました。監督の渡部良平さんは三月のライオンも監督していて、感情表現をキメ細やかに大胆に表すことや雰囲気をこちらまで感じてしまうぐらいリアルに表すことが上手です。そのためここまで非道で現実的で感情豊かな映画が出来たのではないでしょうか。またヒカリ役のcocoは子ども純粋で非道な姿をそのまま形にしたような役で、うわーと顔をゆがめてしまいながらも、子どもだしなとも思ってしまうような子供らしさがありました。だから実際にいる子どもを思い出してしまい、絶対に誰が悪いと言えなくなってしまいました。このあやふやさが凄くいい味をだしていて、今までの映画の中でも当たり中の当たりでした。子育てをしている人に特に見て欲しい映画です。

キリング・ビューティー あどけない殺人者

 

 

  この映画はタリンという殺人者がとりあえずヤバい映画です!

  タリンは執着できそうな人にひたすら依存して、それ以外の人、特に2人の間を引き裂こうとする人は殺そうとします。タリンは彼氏に会いにニューヨークからロサンゼルスに来ますがお金が無く、さらに彼氏と連絡が取れなくて困っていたところアヤに助けてもらいます。アヤはすごくいい人でルームメイトが旅行に行ってる間家にいてくれてもいいと行ったり、家のものを勝手に使ってもらってもいいと行ったりタリンのことを全面的に信用します。住むようになってすぐ、タリンはアヤが出会い系の男と会うことを邪魔します。さらにタリンはアヤに必要にされたくてアヤの職場の人を襲って、アヤのサロンで働くように促します。このようにして段々とアヤの中の自分の比重が重くなるようにしていきます。この後も彼氏と思っていた人は実はワンナイトしただけの男だったりだとか、アヤとシスターだったという共通点が嘘だったりとかが明らかになっていきアヤはタリンを追い出すことにします。するとタリンはアヤの親友で、仕事仲間のローレンを襲い気を失ってしまいます。アヤの夢、自身のサロンの増築を実現させるために火事を起こし、それをローレンのせいに仕向けるようにします。しかし間一髪で気がついたローレンがタリンを殴って警察が駆け付け2人は助かります。最後にはアヤは高校の同級生だった男性とデートの約束をすることが出来て幸せな感じでした。一方警察から逃げ切ることが出来たタリンは、養母と同じ名前のサラという老女に助けられ再び依存するだろうと少し後味の悪いラストでした。

 

感想

 出来事をぱん、ぱん、ぱんと置かれているような映画で分かりやすかったです。タリンのやばさが序盤から顕著に分かるので怖さやドキドキ感はありませんでした。タリンは日本でいうヤンデレとかメンヘラのような人物です。人に執着することが大好きで、相手に拒否されたら落ち込む気持ちより怒りが湧き出るところが特徴的です。このような人物は幼少期、親や学校の先生などの大人と結ぶ必要のある愛情関係が結べずに大人になったと考えられます。愛情不足の幼少期を過ごしたために人との距離感が分からず、愛を求めてしまいます。初対面の人にも関わらず距離感が近かったり、急に仲良いよね!感を出してくるような人物を指します。嘘でなければ、タリンは孤児だったらしいので愛情が足りなかったのかもしれないですね。さらに1番大好きだった養母サラが自分を助けたあと、自分と一緒に行くことより旦那を助けることを選んだことが捨てられたと錯覚してしまいトラウマになっているのかも知れません。アメリカの映画は結構根拠や起源がハッキリしていてわかりやすいところがいい所だけどこういう気味悪い系の映画は日本の方が得意だと思いました。日本の映画や漫画は気味悪さ、ベタベタ感を十分すぎるぐらい出すのがホラーとかサスペンスでいい味出しています。ハッピーシュガーライフの胸糞悪さぐらいのしつこさがあったらもっと好みでしたね!